(1)どんどん後退思考になってきた
前回の記事は、 「【絶望的?】ブリックスアンドモルタルの疑問③ー2」 というタイトルが示すように、
アメリカ芝G1レースを勝った馬たちの種牡馬としての失敗例をさんざん見てきたうちに、気分は真っ黒になってきた。
今回は、こうしたマイナス思考をさらに推し進めてゆく。
ブリックスアンドモルタル 以前に、海外から日本に導入された種牡馬はほとんどがうまくいっていない。
やはり、ラムタラの亡霊がつきまとっている。
次の章で、その落ち武者たちの名前を書きだしてみる。
(2)ラムタラだけではない、社台も多くの失敗
ラムタラを日本に導入したのは、日高の生産者だった。
この時期、社台スタリオンステーション(以降、社台SSと表記)はサンデーサイレンスを輸入して、明暗を分けた。
その社台SSの海外種牡馬輸入の歴史を振り返ってみると、必ずしも順風満帆だったというわけではない。
ざっくり思いつくまま、表にしてみた。細かく挙げると、まだまだ出てくる。
経歴を見れば、いずれも劣らぬ名馬が名を連ねている。
凱旋門賞馬だけで4頭(キャロルハウス、カーネギー、エリシオ、ワークフォース)。
ところが、どの名馬・優駿も日本でよい子どもを残すことが叶わず、轡(クツワ)を並べて討ち死にしている。
つまり、肩書だけではダメなのだ。
今回、鳴り物入りで導入されたブリックスアンドモルタルにとっては、上の表は恐ろしい現実を物語っている。
この表の最下段に自らの名前が記されないとも限らない。
(3)種牡馬失敗の歴史から学ぶ
ここで、気が付いたことがある。
それぞれのヤラカシタ種牡馬の失敗の原因を突き止めれば、ブリックスアンドモルタルの成否がわかるのではないか?
これは素晴らしいアイディアだ。
つまり、失敗からどう学ぶかという問いかけをすることで、ブリックスアンドモルタル導入の是非について間接的に答えることができるのではないか。
でも、その前にいくつかハッキリさせていかねばならないことがある。
①「種牡馬失敗」の定義をどう捉えるか。
②失敗の原因はもちろん種牡馬の能力そのものにある。けれど、その種牡馬が導入された時点での「日本競馬の状況」も考慮に入れなければならない。 「日本競馬の状況」 とは馬場の造園法やライバルとなる他の種牡馬の動向、牧場や厩舎の育成や調教の方法や施設、スタッフなどの環境などなど。
③失敗した種牡馬だけではなく、成功した種牡馬とその要因にも目を配る。
①はとりあえずやってみればいいとして、大きな問題は②のほうだ、
大きな論点として、サンデーサイレンス(ほかにトニービンやブライアンズタイムもいるが、複雑になるので今回は省く)の動向、特に2002年にサンデーサイレンスは亡くなるので、ポスト・サンデーの動向にも目を光らせる。
③の成功種牡馬の要因とサンデーサイレンスの死との間には確実な因果関係がつかめるはずだ。
ということで、今回はここまで。
次回は社台SSの海外種牡馬導入の歴史という大きな視点のなかでブリックスアンドモルタル導入を位置づけ、それがどのような意味を持つのか占ってみたい。
こうした外堀を埋めたうえで、社台SSの失敗と成功の原因分析を経て、 本丸のブリックスアンドモルタル に迫ることにする。
「【輸入の新種牡馬の大半が失敗】 ブリックスアンドモルタルの疑問 ④ー1」終わり
次回「【社台の黒歴史を振り返る】 ブリックスアンドモルタルの疑問 ④ー2」に続く。
【攻略法】ブリックスアンドモルタル産駒
https://note.com/soumanosuikoden/n/n6d70fac97395
【サンデーのクロスで1口馬主を極める】👇
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