【郷原洋行死去】プレストウコウの思い出

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200209-02081110-nksports-horse

「日刊スポーツ」のWEB記事に突然の悲報が飛び込んできた。

昭和の競馬で、「好きな騎手」と聞かれたら、かつては迷うことなく郷原洋行の名を挙げた。

「尊敬する騎手」だと岡部幸雄。

「巧い騎手」だと増沢末男。

「天才」なら福永洋一。

1979年には全国リーディングジョッキーとなり、通算1000勝(史上4人目)を達成するなど、数字面でも一流騎手と呼んでよい活躍をみせた。

でも、自分の中では郷原騎手は「記録」よりも「記憶」に残る騎手だった。

オペックホース(1980年) と ウィナーズサークル (1989年)で2度のダービー制覇、リユウズキ(1967年)で皐月賞を制覇しているけれど、一番印象に残る馬は菊花賞馬プレストウコウ(1977年)だった。

プレストウコウ(1974年生まれ、父グスタフ)は4歳(表記は当時)春のクラシックは岡部幸雄(皐月賞13着、ダービー3着)や安田富男が手綱を取っていたが、秋に郷原へ回ってきた。

1977年の菊花賞では、1番人気ラッキールーラ、2番人気マーブルペンタスに次いでプレストウコウは3番人気の評価ながら、4歳クラシック最後の栄冠を勝ち取った。

レースでは、途中から伊藤正徳のラッキールーラが先頭に立つも、直線入口では失速。

代わって、メグロモガミとテンメイの叩き合いとなった。

ここからが、実況、杉本アナの真骨頂だ。

「テンメイ先頭、テンメイ先頭、トウメイが待っているぞ。外からプレストウコウ。プレストウコウが交わした。」

当時はまだ珍しかった葦毛のG1馬の誕生。

お世辞にも綺麗な毛並みとは言えないプレストウコウに、鞍上の剛腕郷原洋行のイメージも重なって、野武士のような武骨な雰囲気を強く印象づけた。

この菊花賞の優勝から、郷原洋行が乗るプレストウコウが出るレースが気になって仕方がないようになった。

つまりは、好きになったというわけだ。

翌1978年、古馬になって迎えた春の天皇賞では、3強のうちトウショウボーイもテンポイントもいないグリーングラスただ1頭が参戦し、プレストウコウとの一騎打ちかと思われた。

道中、郷原が立ちあがり、明らかに異常事態。

「鐙(あぶみ)が外れた」ということで競走中止となった。

剛腕に似合わないアクシデント、大ポカをやらかしてしまった。

この天皇賞は、結果として3強の陰に隠れてなかなか日の目を見なかったグリーングラスのファンのうっ憤を晴らすことに貢献したのだったが。

この年、2回目の天皇賞、秋天にも郷原ープレストウコウのコンビは雪辱を果たすべく出走した。

しかし、今度は、プレストウコウは途中でかかって、勢いで先頭に踊り出てしまう。

最後の直線で粘って粘って、挙句、テンメイに差されて母子で天皇賞制覇の偉業のアシストをしてしまう結果となった。

こんな具合で、4歳で菊花賞の栄冠を手にしたプレストウコウであったが、古馬になると脇役として他の馬の伝説作りに手を貸す(足を貸す)存在となった。

結局、2つめのG1制覇は叶わずに競走馬生活を引退してしまい、天皇賞のリベンジならずという、不完全燃焼で結末を迎える。

しかし、鞍上の郷原には不完全燃焼という言葉は似合わない。

天皇賞リベンジはその翌年(1979年)の春に待っていた。

出口明見から郷原に乗り替わりとなったカシュウチカラ(1973年、父カバーラップ二世)は、剛腕の力を借りて、サクラショウリとキャプテンナムラの2頭の後輩(5歳馬)を抑えて7歳古馬の貫禄を見せたのだった。

京都の3000、3200mは3コーナーの坂上が仕掛け所で、ここから各馬の攻防が始まり、さまざまなドラマを生んだ。

名馬で語られることが多い京都のこの坂が、騎手で語られるのは、この1979年の天皇賞をおいてほかにない。

「さあ、固まった固まった。21頭(!)が固まりました。3コーナーの山の上だ。固まった。青の帽子(サクラショウリ)が行った行った。カシュウチカラはその前にいる。郷原だ。郷原だ。郷原が3番手から2番手をうかがう。(中略)名人(小島太)が内を見た。名人がチラッと内を見た。サクラショウリが躍(おど)りだした。早いのか。これは早いのか。これでいいのか。」

実況の杉本アナが小島太を名人と評しているのは笑える。

「(仕掛けが)早いのか」と疑問を呈している。

一流ジョッキ―の騎乗法に批判的な実況は今では考えられないが、これは長く競馬実況を務めた杉本アナの判断で、この直感は的中することとなった。

名人は迷人だった。

素晴らしい直線の叩き合いは動画を見て、味わってほしい。

カシュウチカラが直線、サクラショウリとキャプテンナムラの間を割って伸びてきたのは感動した。

見事に郷原が2度のプレストウコウの天皇賞で味わった苦い屈辱を晴らした瞬間だった。

いまの若い競馬ファンはカシュウチカラの名前を知っている人が少ないだろう。

それでも、私の中ではこの1979年の春天がこれまでの天皇賞の中でのベストレースになっている。

郷原洋行よ、記憶に残るレースをありがとう。

安らかにお眠りください。

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