JRA調教師、石坂正師が2月27日の阪神9R(シャイニーゲール=8着)を最後に調教師の仕事を終えられた。
お疲れ様でした。
ジェンティルドンナで私の人生を変えさせてくれた恩人です。
ジェンティルと出会う前は、私は、仕事や人間関係の躓きもあって、何ごとにも僻みっぽく、「人生恨み節」の毎日を送っていたように思います。
1口馬主を初めて5年目にジェンティルと出会ってからは、私の世界観が変わりました。
コツコツと人のために尽くして、誠意を持って生きていれば、神様はきっと見ていてくださる。
自分は神様に愛されているんだ。
という、何だかクリスチャンのような考え方になりました。
それからは、腐らずに何事にも信念を持って、己を貫くことができたように思います。
思えば、石坂師のクラブ馬と言えば、サカラートやヴァーミリアンといった牡馬の活躍馬が多く、ジェンティルドンナの募集時には、ネット掲示板でそのことを指摘して、石坂厩舎の牝馬は敬遠すべきという書き込みがありました。
でも、募集カタログを見た瞬間の「何かが舞い降りてきたような直観」を信じてよかったです。
無名のネット掲示板の声などに惑わされずに、初心を完徹することが1口の馬選びで大切だと痛感しました。
初めて出席したジェンティルドンナの3冠達成祝賀会は一生の思い出に残るものになりました。
馬の調教師というと、気難しく、近寄りがたい人、という先入観がありましたが、あにはからんや、石坂師の人を和ませる穏やかな笑顔は忘れられません。
テーブルの隣の席でご一緒だったノーザンファームしがらき松本場長とお話させていただいたことも鮮やかな記憶に残っています。
10年秋に開場してすぐに場長に就任されたから、2012年の祝賀会では、2年が経っていたと思います。
それでも、勝己社長は未だに松本場長の名前を憶えてくれていない、と嘆かれていました。
当時、サンデー募集の関西馬が勝ち星を量産し始めた時期でもあり、それはひとえにノーザンファームしがらき(の松本場長)の成果で、この外厩施設で鍛えられた馬は、これからもどんどん活躍馬を出すに違いない、そんなことを話した記憶があります。
それは、その後に現実のものとなりました。
あと、この祝賀会でクラブ誌「繋」にもときどき名前が出ていたSさんも私と同じ1口馬主として出席されていて、集合写真にご一緒させていただきました。
そのあと、Sさんは亡くなられたことを「繋」の記事で知りました。
そのときは初対面で、席が遠かったため、お話させていただくことはありませんでしたが、Sさんの嬉しそうな表情も忘れられません。
いろいろ書きましたが、私の1口馬主人生は石坂先生とともにあります。
ジェンティルドンナの後は、シーサイドバウンドやドナウデルタなど、石坂厩舎のクラブ馬に出資しましたが、「柳の下のドジョウ」は2匹いませんでした。
シーサイドバウンドは500万下で頭打ちで、高い買い物になりましたが、それでも、「ありがとうございました」という感謝の気持ちで出資したので、後悔はありません。
今年はほかにも松田国英調教師や角居勝彦調教師などJRAで一時代を築いた調教師の引退が目につきます。
中央競馬も世代交代に入ったことを実感します。
1口馬主の馬選びは、調教師で選び続ければ当たり馬を引く確率が高まります。
多くの高実績者の出資方針がまさにこのやり方で、それを実感したのも石坂師と出会ったおかげです。
この「相馬の梁山泊」では、第二の石坂師を早い段階で発見することをもう1つのテーマとしたいと考えています。
みなさま、これからもどうかよろしくお願いいたします。