【2歳新馬ヴォルゴグラード】大祖国戦争の記憶をとどめた町

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(1)ヴォルゴグラードはロシアの都市の名前

サンデーサラブレッドクラブの2歳牡馬ヴォルゴグラード(Volgograd、父リアルインパクト)の命名の由来はクラブホームページによると以下の通り。

ロシア南部の都市名。母名より連想

母がマトリョーシカ(ロシアの人形)だから、ロシア繋がりの名前というわけだ。

この馬の半姉のヴァシリエフスキー(Vasilyevsky、父ミッキーアイル)の名前もロシアの地名ヴァシリエフスキー島から採った。ヴァシリエフスキーは私の出資馬でもあるので、弟のヴォルゴグラードはことさら力を込めて応援したい。

(2)ヴォルゴグラードは第二次大戦の激戦地

ここで、クイズを1つ。

第二次世界大戦で一番多くの戦死者を出した国はどこか?

正解はソ連。

ソ連では市民を含め、なんと2060 万人もの人が犠牲になった。

日本の戦死者は310 万人、ドイツは689 万人だから、日本の死者の7倍、ドイツの3倍の方が亡くなられた。

そのなかでもスターリングラード攻防戦でのソ連軍の戦死者は約120万人、一般市民は、少なくとも20万人、合計140万人の方が亡くなられたと言われています。

つまり、太平洋戦争での日本の戦死者の約半分が、この戦いで命を失ったことになるのです。

ヴォルゴグラードはソ連時代にはスターリングラード(Stalingradru-Stalingrad)と呼ばれていました。

ソ連が1991年に崩壊後、現在の地名に変更されています。

ロシア南部、ヴォルガ川の流域にあることから、こうした名前で呼ばれています。

(3)ヴォルゴグラードには戦勝記念のさまざまなモニュメントが

このスターリングラード(現ヴォルゴグラード)での激しい抵抗がドイツ軍を消耗させて、ソ連の国土をナチスドイツの侵略から守りました。

スターリングラード大攻防戦のこのような戦史的意義を込めて、スターリングラードは戦後「英雄都市」となり、町を見下ろすママエフ・クルガンの丘にはさまざまなモニュメントが作られました。

ターリングラードでソ連軍を指揮したワシーリー・チュイコフ元帥の墓碑
母なる祖国像

(4)競馬があるのは平和な時代

多くの人の命が失われる戦争は嫌なものです。

私たちは平和な時代に生まれて本当によかったと思っています。

人間の闘争本能が戦争を引き起こすのだ。

だから、いつの時代にも戦争は無くならないと説く人がいます。

しかし、スポーツによる闘争が戦争を代替する働きを持っていると考えます。

「戦争を知らない子どもたち」の私たちは、せめて競馬というブラッドスポーツのなかで、闘争を戦わせたいと思います。

戦争中は競馬は中止されました。

競馬が開催されると言うのは、平和の証拠です。

現在のコロナ禍にあって、競馬は平和を希求する人々の最後の心の拠り所となっています。

競馬がいつまでも続くことを願ってやみません。

ヴォルゴグラードにはスターリングラードの時代の悲惨な記憶を吹き飛ばす活躍をしてもらいたいと思います。

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