この趣味(1口馬主)を始めたころから、1口馬主掲示板(現在は、したらば掲示板の「みんなの1口馬主掲示板」)を見ている。
初めの頃は、見る度に嫌悪感や不快感でいっぱいだった。
(それだったら、見なければいいのに、と忠告してくれる人がいるが、それでも見てしまうのが人の常だ)
社台・サンデーの1/40の会員は1/400の会員(キャロット、シルク)を馬鹿にしている。
(私はキャロット、シルクの会員ではないが)
世間の感覚から見れば、平均的なサラリーンの小遣いからはほど遠い感覚の大金を浪費しておきながら、これを自覚せず、逆にオーナーズや1頭馬主に対する嫉妬感丸出しの露骨な書き込み。
そして、募集時期、牽制や偽情報を流してまで自分が欲しい馬に出資したいがためのエゴイズム。
1口馬主の会員になって13年目の今年、こうした不快な感情は薄れてきている。
ひとつには、慣れが理由だろう。
大金の浪費については、最近、愛馬が思うように走らないことを考え合わせると、自身に多く当てはまる。
その自覚がない、あっても薄い、というのも自分のことだ。
感覚が麻痺してきている。
いまの自分は、かつての自分からむちゃくちゃ非難されるだろう。
牽制についても、たとえば、ポーカーなどのカードゲームで、牽制やブラフは当然の技術だ。
ただ、ネットでの虚偽情報の拡散は法律に触れるので、タブーだが、多少の牽制は、かわいいものだ。
こうした書き込みで人と戯れたいという(歪んだ?)フレンドシップも、わからないわけではない。
私もすっかり1口馬主の世界にはまり、世間擦れしたということかもしれない。
それでは、このブログ『相馬の水滸伝』はある種の牽制なのか?
自問自答することがある。
牽制を意図していない、と自分では思っているが、人間の無意識までは、自分でもわからない。
意図的か否かはともかく、わずかではあるが影響を与えている以上、解釈によっては、これが結果として牽制の役割を果たしていると言えるかもしれない。
このブログで紹介された馬に出資意欲が涌いて応募する人、逆に自分の希望馬リストにあった候補から外す人。
ごくわずかだが、そういう方々がおられるかもしれない。
そして、その行動が私の出資結果にも影響がまったく出ないか、と言えば、そんなことはない。
でも、その結果が吉と出るか、凶と出るか、本当のところは誰にもわからない。
細かい損得勘定を抜きに自分の素直な見解をオープンにしているのには、こういった理由があるからだ。
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