伊藤正徳調教師引退に寄せて~後藤浩輝騎手とのこと

今月末にJRA調教師8人が引退を迎える。その中に伊藤正徳師の名前が見える。

伊藤正徳といえば、騎手の時代からみていた。7枠24番という外枠から優勝したラッキールーラのダービー、メジロティターンによる天皇賞(秋)優勝 など、現役時代も華々しい活躍を目の当たりにした。

そして、調教師になっても多くの名馬を育てた。

伊藤先生、長い間、お疲れ様でした。

この伊藤師といえば、クラブ馬とのかかわりが深い。

社台サラブレッドクラブのマイラーズカップと中山記念をそれぞれ2勝した中距離の雄ローエングリンやGⅡNHKやGⅢ福島記念、GⅢ七夕賞などローカル重賞で実績を残したマイネルブリッジなど個性的な馬を管理された。

また、伊藤師といえば、今は亡き藤浩輝騎手騎手との師弟愛が思い出される。

伊藤師引退に寄せて、かつて私がアマゾンに書いた後藤浩輝ジョッキーの自伝『けっこう大変』の書評を再掲させてもらいます。

後藤浩輝騎手は不真面目なのか真面目なのか、よくわからない騎手だと前から思っていました。


おちゃらけたパフォーマンスの勝利ジョッキーインタビューをしたかと思えば、たかがG2の中山記念勝利でこらえきれずに嗚咽の涙を流したりと、つかみどころがないキャラクターという印象です。


成績は2000年の全国3位が最高で、年度によって波があり、最近では落馬の影響やエージェント制もあって成績は低迷し、私の中では中堅ジョッキーというだけで、半ば忘れかけていた存在でした。


ところが、今年、2014年4月27日の二度目の不運な落馬事故があって、頸椎骨折の悲運に見舞われ容態を心配していた矢先、ブックオフの古本で本書を見つけ、早速、購入して読んだ次第です。


まず、武豊や福永祐一など、親がトップジョッキーであるとか、関係者であるというわけではなく競馬とは無関係の両親のもとに生まれ、生い立ちはけっこう貧乏暮らしをして、家庭的な問題も抱えゼロからたたき上げで一流ジョッキーにまで這い上がってっきた過程は、藤田伸二騎手を彷彿させます。


こうした雑草魂は嫌いではありません。

生意気という印象を受けるのも、実はそうした反骨精神や負けず嫌いのなせる業だということが本書を読んでわかりました。


読者に読ませる印象に残った個所は4か所あります。

ひとつは、崩壊した家庭の中で育ったおいたちと父親との確執。


ネタバレになるので詳しくは書きませんが、ドラマや映画を見るような壮絶な経験をしています。


後藤騎手の感情を表に出さないポーカーフェースから、こうした辛い経験を強く抑えこもうとする抑圧の心理が働いていることが、伺えます。


ふたつめは、アメリカ修行のくだり。

コネもなく単身渡米して、しかも、当時としては前例のないリーディング下位の騎手のアメリカ武者修行。

半年で7勝は、帰国後、勝ち鞍を倍に増やして活躍したことからも、数字以上の価値があったことがわかります。


精神的にタフになってアメリカから帰国したはずであるのに、ところが、どうしたわけかその後、吉田豊騎手を木刀で襲撃して4か月騎乗停止処分となる事件を起こします。


これが本書での最大の読ませところでしょう。


勇猛果敢で大胆な行動は行き過ぎると、とんでもない暴走となる。


本当に競馬の成績と同じように、波がある性格です。


ここら辺の一種、常軌を逸した性格が後藤騎手の魅力であり、またアンチを生み批判に晒される弱点でもあるのでしょう。


こうした矛盾を抱えた人間は文学として本書を読む場合の面白さでもあります。


私が個人的に一番感動したのは、後藤騎手の師匠である伊藤正徳調教師との関係です。


伊藤厩舎に配属された若き日の後藤騎手は、弟子に対する愛情のあまり厳しく接する伊藤師に対して内心反発し、最後は厩舎を辞めて飛び出します。

その後も師との関係は冷却状態が続くのですが後藤騎手が件の暴行事件を起こしたとき、真っ先に伊藤師は、JRAの関係者に頭を下げて回り後藤を競馬会から追放しないように根回しを続けたことを、ある日、同じ関東の藤沢調教師から聞きます。

後藤はすぐに伊藤師に電話して厩舎を訪ね、師と和解します。


齢を重ね、後藤が騎手としても人間としても成長するにつれ、若いころに師匠に言われた忠告や苦言がすべて正しいことであり、それもこれもみな後藤のためを思って言ってくれたということをだんだんわかるようになります。

「うちの馬で俺が勝てると思った馬には、お前は乗せられない」


新人ジョッキー時代の後藤にこうまで言わしめて引導を渡した師でしたが、後藤が頭角を現わしてからは、厩舎の主力馬の多くを後藤Jにまかせるようになるのです。


エアシェイディ、ネヴァブションそしてローエングリンと、これらの活躍馬が重賞勝ちしたときには必ず後藤騎手が手綱をとっています。

調教師の厚い信頼とこれに応える騎手の強い絆が見て取れるというものです。


こうして読み進んでゆくうちに、2007年ローエングリンの中山記念勝利ジョッキーインタビューで後藤騎手が大泣きに泣いた意味がようやくわかりました。


インタビューのなかで、後藤はローエングリンが大好きで大好きでという言葉を再三使っています。


その言葉に嘘はないと思いますが、さらに穿って考えると、同馬を管理する伊藤正則調教師のことが大好きで大好きでという真意も隠されていたのではないでしょうか。


さらに考えるに、後藤は実の父親の愛情に恵まれなかった。


後藤本人は伊藤師に対して、満たされなかった自分の父親に対する思いを重ねて見ていたのではとも思えるのです。

後藤は本の中では上記の私の推測を裏付けることは、全く書いていません。
また、伊藤師に対して「感謝」という言葉も記していません。


しかし、後藤の性格からして、こうした書かれなかったことこそ一番に読者(特に伊藤師)に伝えたかったのが、手に取るようにわかる内容になっているのです。


このように読者に行間を読ませることができるのも後藤Jの文章のうまさ、頭の良さがなせるところであるように思うのです。

追記。

2003年の天皇賞で、後藤騎乗のローエングリンが吉田豊のゴーステディと主導権を争って無謀な逃げを打って13着に自滅したことがありました。


このとき、例の木刀事件のこと、吉田騎手との確執による私怨が招いた騎乗という批判もあって、後藤騎手はローエングリンから降ろされました。


これは後藤騎手本人にも十分わかっていた。


にもかかわらず、師匠の伊藤正徳調教師は再度、後藤Jにチャンスをくれた。
そして、劇的な勝利。


2007年の中山記念でのローエングリンの勝利騎手インタビューでの後藤騎手の涙はこうした背景があることを書き添えておきます。


2015年2月27日に後藤騎手が突然、自殺され、逝去されたことに衝撃を受けました。

この本を読んで以来、後藤騎手の人間み豊かな人柄に親しみを覚え、騎乗するたびに心の中で声援を送っていただけに悲報を聞いたときは、まさに、言葉がない、といった心境でした。


この本のタイトル『意外に大変』は彼らしいとぼけた表題ですが彼の人生や心のありさまを素直に吐露したものとなっていた、ということが亡くなった今になってわかります。


彼のことは一生忘れません。


後藤浩輝騎手の冥福をお祈りいたします。

以上が書評の内容です。ずいぶんと古い記事を持ち出しました。お目汚し、失礼しました。

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