トンボ君、小説家の弟子になる

以前、トンボ君は、某競馬場内で働いてことがある。
お世話になった人に迷惑がかかるので、
競馬場名や仕事の内容は一切伏せて書く。
そのとき、社長と話していて、何かのはずみで
トンボ君がむかし小説を書いていたことがあるという話をしたところ、
社長は、今度、知り合いの小説家を紹介してくれる、という。
そして約束通り、後日、作家K氏と会うことになった。
トンボ君は「小説家志望の卵」ということになっていて、
ひと月以内に作品を書き上げる。
書き上げた原稿を大手出版社K社の編集者に見せて、ものになるかどうか判定してもらう。
いつの間にか、話はどんどん進行して、そんなことになってしまった。

トンボ君は小説を書くのは好きで、むかし何作か書いたことはある。
創設されたばかりのファンタジー大賞に長編作を応募をしたことがあった。
賞金1000万円。
記憶では、三次選考まであった。
一次選考では、実は応募した作品を読んではもらえない。
梗概(こうがい)と言って、400字程度のあらすじのようなものだけを読まれる。
何百という応募作をいちいち読んでいては時間を取られるし、
大半が下手糞な素人の作品を読むだけで苦痛だ。
梗概を読むのも、選考委員ではなく、嘱託された選考員(たぶんアルバイト)が読んで、
だいたい応募総数の十分の一から二十分の一に絞られる。
そうして厳選したものを今度がプロの編集者などが読んで、さらに数作にふるいにかける。
これが第二次選考。
そして最後に残った数作を小説家や評論家の選考委員が読んで、受賞作を決める。
ファンタジー大賞では、トンボ君は一次選考で落とされた。
1000枚書いた作品を読んでもらうことすら叶わなかった。
落選理由は梗概がうまく書けなかったからだ。
原稿用紙一枚を読ませる力がなければ、たとえ1000枚書こうと、5000枚書こうと、
小説家としては能なし、というわけで、当然だ。

そんなこともあって、トンボ君は自分の才能については、疑問を抱いていた。
どうしよう。
締め切りは一か月後だ。
以前書きかけて中断していたSF小説を完成させることを思いついた。
内容は、こんな感じの話。
地球の公転周期が1年は約365.25日。
公転周期が地球の十倍ある某惑星の宇宙人が地球に訪れて、
ある高校生の男子と交流するという話で、ラブコメディもからめて、
ストーリーが展開してゆく。
時間論がこのSFのテーマだった。
時間の流れは物理的なもの以外に、
季節や年単位の区切りといった文化的、制度的なものがあり、
それは公転周期によって決まる。
惑星ごとに公転周期が異なるから、星によって、時間感覚に違いが出てくるのは当然だ。
そればかりか、地球上でも、個人によって時間の長短の感じ方が微妙に異なる。
これは経験的にも私たちが何となくわかることだ。
また年齢によっても時間の流れ、つまりこれは内的時間のことだが、
これはそれぞれ、みんな違う。
ひとはそれぞれの時間の中で生きていて、少し時間が人とズレていることに
気づいたり、気づかなかったりしながら、
それでも何とか他人と折り合いをつけながら
生きている。
小説でそんなことを言いたかった。
ただ、作品として面白いか、完成されているか、と聞かれれば、
クエスチョンマークが百個ぐらいつくような作品だった。

一カ月で原稿用紙200枚を何とか仕上げて、作家K氏に渡した。
それから、マンツーマンでK氏から小説の手ほどきを受けた。
そうして出来上がった原稿を編集者に読んでもらうことになった。
K社の編集者と喫茶店で待ち合わせて、トンボ君とK氏と3人で会った。
ベテラン編集者のSさんは、 人好きのする温厚で優しそうな人だった。
忙しいなか、私なんぞの、素人の若造のために、
駄文を読んでくれて、会う時間まで割いてくれた。
トンボ君としては、これで認められて小説家としてデビューするとか、
そんなことは夢のまた先で、こうして、プロの編集者にお会いできて
自分の作品の感想を言ってもらうことだけで、十分、満足だったし、幸せだった。
S氏は、原稿に目を通し、しばらく間を置いてから本題に切り込んできた。
氏から言われたことで、覚えていることは、こんな寸評だった。

実に楽しそうに小説を書いている。
それは、伝わってきた。
でも、それは違う。
書き手が楽しむのではなく、読み手を楽しませること。

これがプロの小説家というものだ。

チーーン。

この一言で終了だった。

でも、作家のK氏が救いの手を差し伸べてくれた。
S社の某小説の新人賞に応募してみなさい。
私が口をきくから、第一次選考は通過させてあげる。
そうすれば、君の名前は雑誌の紙面に載ることになるよ、と。
トンボ君は厚意に甘えて、新人賞にこの作品を応募することにした。
結果はK氏の言う通り、第一次は通って、名前は載ったが、
第二次選考には案の定、残らなかった。

これは、トンボ君の苦い青春の1ページだ。
競馬場の社長や作家K氏や編集者のSさんや
みんな若いトンボ君の夢を一歩でも現実に近づけようと、応援してくれた。
そんな人々がいるという事実だけで、嬉しかった。
実際のところ、トンボ君としては、行きがかりで何となく小説を書いただけで
どれだけ真剣に小説と向き合ったかと聞かれたら、自信を持って返答できない。
そのことが申し訳なかった。
このように、人生には大化けするチャンスというのは、向こうからやってくる。
それを生かせなかった。
何より、それが悔しかった。

結局、トンボ君が競馬場で働いていたのは1年半。
その間、関係者なので、馬券は一切、買えなかった。
実はそれが、小説の芽が出なかったことよりも一番、残念で辛いことだった。
競馬が大好きで仕方ないから競馬場で働いたのに、
G1レースの実況中継で盛り上がるお客さんを横目で見ながら、
自分は馬券を握り締めて叫ぶことができない。
周りはガツガツて貪っているのに、
自分だけはお預けをされて、おいしいものを食べることができない犬のような、
なんだかそんな気持ちだった。

トンボ君は「小説家の卵」なんかじゃなく、単なる馬券オヤジだった。

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