私の人生のバイブルとも呼べる本に巡り合えた!

本のタイトルが「世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方」という。
著者は松本哉(はじめ)。


前著の「貧乏人の逆襲:タダで生きる方法」と合わせて興味のある方は読んでみてほしい。
内容はとにかくぶったまげている。
各所に笑いのツボが満載で、電車で読みながら、笑いをこらえるのが大変だった。
一番、笑わせてくれたのが、山手線の電車を乗っ取り、車内で宴会をしてしまう、という話。
大みそかは首都圏のJRでは終日運転しているのに筆者は目をつけて、筆者たち一味は深夜の山手線の先頭車両にコタツと一升瓶を持ちこむ。
車両のまん中にコタツを設置して、いきなり宴会を始める。
駅に着いてドアが開くたびに、乗ってきた乗客にいきなり紙コップに注いだ日本酒を差し出してふるまう。
意外と拒否する客は少なく、おじいさんなんかは、「これは、これは」と言って酒を受け取り、飲みだす。
山手線の車内で一瞬にして大宴会が始まる。
初対面なのに乗客どうし「おめでとうございます」とか言ってる。
そのうち、JRの側も怪しいと気付き始め、「車内点検を行います」というアナウンスが入り、駅員が駆けつけてくるが、そのときはコタツをたたみ、一升瓶を隠して何食わぬ顔をしてやりすごした、という。

ツワモノだね。
いいね、こういう常識をひっくり返した発想で、しかも堂々と実行してしまうという行動力は、見上げたものだ。
私は「人の迷惑になることはやめよう」という、教師が繰りだす説教は大嫌いだ。
だいたい、普通に生活をしていると、何らかの形で少なからず人に迷惑がかかってしまうことは避けられない。

落しものをして、善意で拾ってくれた誰かに、交番や駅の事務所に届けてもらうご足労をとらせたり、酔っぱらって街中で誰かを介抱したり、介抱してもらったり。

(以前、私が若いころの話。。ある冬の寒い日に、道路で酔っぱらって倒れていた人がいた。

このままだと凍えてしまうので、その人を介抱して、アパートまで送り届けたことがあった。その人は家の前まで来ると、怯えたような表情をして私の顔を覗き込み、「許してください」と小声で言った。私が介抱泥棒かなんかだと誤解したんだろう。きっと。どんだけ人相悪いんだw)

生きる、ということは、人に迷惑をかけたり、かけられたりする、ということだ。
もちろん、人に大金を貸してとねだって借りて返さない、とか、そんな迷惑のかけかたは論外だが、人に迷惑をかけることから始まる人間関係もある。
大切なのは、「人に迷惑をかけない」ことではなく、「人の行為をある程度許容できる人間になる」ということなんだと思う。
そして、その行為をきっかけに他人の懐(ふところ)に一歩入りこんで、赤の他人どうし、少しだけわかり合えるようになることなのかもしれない。

電車内の話で思い出したが、昼間、私がJR武蔵野線に乗っていたら、車内で外国人の若い奥さんが連れている赤ん坊がぐずりだした。
アジア系のその外国人の母親がなだめても、赤ん坊は泣きやまず、母親はオロオロしている。
赤ちゃんの声はしだいに大きくなり、泣き声は車内に響いている。

母親は周囲の人に迷惑をかけていると思い、他人の目を気にして、ほとんどパニック状態。

こんなとき、神経質な人は、「電車内は静かにするのがマナーなのに、人に迷惑をかけて」とその母親をなじるだろう。
母親が気が動転しているそのとき、すかさず、日本人の奥さんらしい数人の女性が駆け寄り、赤ちゃんをあやし始めた。

そのうちのひとりは、母親に大丈夫よ、と声をかけている。
子育てのプロの手にかかった赤ん坊は、すぐに泣きやんだ。
この光景を見て、私はいいものを見させてもらったと、感動した。
こういう場面に出くわせたのは、庶民が利用する昼間の武蔵野線ならではのことだ。
もし、朝夕のラッシュの時間帯、山手線などの車内であったなら、この事件は「人の迷惑」の烙印を押されて、外国人の母子は、指弾されていただろう。

ともあれ、最近の人々の「人に迷惑」で他人を切り捨てる風潮に嫌気がさしている。
もっと、おおらかで、包容力のあるようにならないものか。
松本哉までとはいかないが、私も世間の常識をちゃぶ台ごとひっくり返し、マヌケで無茶苦茶なことをやってみたい。

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