ルメール、Mデムーロ、モレイラなどの主流外国人ジョッキーが香港競馬に出向いて、久々に日本人騎手の活躍が見られる。
そう思ったが、そうは簡単にいかないようだ。
●ギベオン
クリスチャン・デムーロが昨日の中京メイン中日新聞杯を社台のギベオンで重賞制覇に導いた。今日(12月9日)の阪神では、4Rと5Rをサンデーサラブレットクラブの良血馬、タンタラスとティグラーシャで連勝するなど暴れまわっている。
外国人はなぜ勝てるのか?
この設問は、日本人ジョッキーはなぜ外国人騎手に互角に渡り合えないのか、と質問を立て直すことで、答えたい。
理由は多々あるかと思うが、競馬の一ファンの立場からレースを見ていていつも思うのは、日本人ジョッキーは調教師の目を意識して、レースが消極的になったり、積極的に自分からレースを作りにいけないで、なにもせずに負けることが多いような気がする。
ペースがスローで後ろからだと届かないと判断すれば、即座に仕掛けところで前で馬を動かす。
スタートがよければ、差し・追い込み馬でも思い切って逃げる。
こんな臨機応変ができるのが外国人騎手の強みだ。
対して日本人騎手は、競馬学校で教えられた折り合い重視という基本に固執して、馬ごみから抜け出せずに勝機を逸したり、せっかくの好スタートを抑えて中団、後方と位置取りを悪くして、不利を受けて人気馬を着外に沈めたり、でファンを裏切る光景を何回も目にする。
これは、新人騎手として厩舎に配属されてから、下手な騎乗をすると調教師に怒られることで、指示待ちやミスをしなければいいという自己保身が刷り込まれてしまうからではないか。
だから、フリーになっても、調教師の意向を気にする習慣から抜けられず、騎乗が小さくまとまってしまう。
調教師ー騎手の師弟関係は相撲界でも同様だが、こうした日本の古い体質が日本人騎手不振の根底にあるように思う。
調教師の指示通り騎乗して負けたら馬の能力が足りなかったで済む。
ところが、余計なことをして負けたら、 調教師やオーナーからすべて騎手のせいにされる。
だから、騎乗法の型にこだわり、型から抜け出せない。
真面目で素直な日本人の特性が悪い方向に出てしまっている。
外国人騎手は徹底した個人主義の文化で育まれたから、騎乗法については調教師やオーナーからは、ある程度自由がきく。
これがレースの勝敗を大きく左右するのだろう。
日本人騎手は調教師やオーナーだけでなく、何かと競馬界のしがらみにがんじがらめに縛られて、大変だと思う。
部外者からは伺い知ることができない、並外れた苦労をしてきている。このことは理解できる。
しかし――。
相撲は国技として、守らなければならない伝統があるから、まだ首肯できる部分もあるが、ワールドワイドの競馬では、世界を相手に勝つために、古い殻を脱ぎ捨てて、日々刻々変わらなければならない。
だからこそ、こうした壁を突破して、外国人ジョッキーにいつまでもいいようにはされない、目の覚めるようなレースを日本人ジョッキーに期待したい。
ブレイクースルーするのは誰か?
まずは、今日の阪神ジュベナイルフィリーズの北村友一騎手に期待したい。
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