競馬騎手の「ヤリ・ヤラズ」

以下の文章は、藤田伸二「騎手の一分」の内容をもとに書きます。 ネタバレになるので、この本をこれから読みたいと思われている方は、以下の文章は読まれずにおかれたほうが、と思います。 横山典弘騎手は、所謂「ヤリ・ヤラズ」の騎手として競馬ファンの間で噂されている。 注.「本気で勝ちに行くのが『ヤリ』、そうでないのが『ヤラズ』。つまり、「ヤリ・ヤラズ」とは、レースによってムラがあるということ」「騎手の一分」(69ページ) 確かに、横山騎手に限らず、一部の騎手は馬をみて本気で追わないように見えたり、途中でやる気なく諦めたりするような素振りが見られることがある。 レースに臨む競走馬は、すべて全力を尽くして勝つ競馬をする、というタテマエで動いている中央競馬界で、このような態度はファンの怒りを買う。 また、場合によってはJRAの裁定委員会から騎手に制裁がかけられる。 この「ヤリ・ヤラズ」について、藤田元ジョッキーは次のように釈明する。 所謂「ヤラズ」に限って言えば、馬の歩様に変調が感じられ、故障の兆候があるときに、騎手はあえて無理に追わない、という。 このような感覚は騎手にしかわからない。 確かに、馬が故障すれば、騎手や調教師が咎められることもあるだろうが、「ヤラズ」で未然に馬の故障を防いでも、その結果は一部の騎手や関係者にしかわからず、情報も部外に出ない。 馬の生命を守るという本義から、「ヤラズ」は騎手のファインプレイに当たる。 だが、その馬の馬券を買ったファン、極端な話、馬がどうなろうが自分の馬券が当たりさえすればよいという、ごく一部の人間からすれば、激しいブーイングの対象となることもあるだろう。 騎手にしても何にしても、すべての世界のプロに共通することだが、積極的に「~をする」という行為は、目を引いて喝采を浴びるが、消極的に「~をしない」という不作為は、当人の能力や決断に問題があるという誤解をしばしば生みやすく、評価もされにくい。 本当の一流騎手は、馬の将来を考えて力を温存させる。 能力のある馬が勝つときには、目標レースを除いて、100%の力を出させない。 トライアル仕様という言葉がまさにそれだ。 また、目標レースを勝つ場合も、他の馬との能力に格段の開きがない限りは圧勝をさせない。 シンボリルドルフの岡部幸雄騎手がまさにそうだった。 ルドルフは大差勝ちがなく、勝っても、2着馬との差はだいたい0.5秒以内に収まっていた。 岡部幸雄は馬に負担をかけずに勝つことができる、つまりソツがない騎乗ができる稀代の名ジョッキーだった。 ただ、今はエージェント制になって、一部の騎手を除いて、いくらこのレースで勝っても次に騎乗依頼が来る保証がない。 だから、その馬の長期的な視野に立ってレースに臨む騎手が少なくなっているのが現状ではないだろうか。 「ヤリ・ヤラズ」は横山騎手のようなベテランで、エージェント制を気にせずとも、自身の魅力、能力で馬主から騎乗依頼を勝ち取ることができる自信のある者のなせる技のように思う。 とくに1口馬主になってみて、馬主サイドから競馬を見る習慣が身についてきた。 この立場からは、ときとして「ヤラズ」は愛馬のためにもありがたい場合が多々ある。 競走馬の生涯に出せる能力には限界がある。 それを、いかにタイミングをはかって、メリハリをつけて出してゆくかが、調教師や騎手に問われる。 常に全力だと、馬はすぐに壊れてしまう。 みなさんは、如何お考えだろうか? ブログ主の成績はYouTube、「獲得賞金8千万円‗1口馬主、全成績を丸裸にする」をご参照ください。 👇ランキングをクリックしていただければ幸いです。
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